So long
2020.12.20
2015年に世田谷ジムをオープンさせましたがその初年度にライアンは入会。日本に行く友達に誘われその場で決断し翌週には日本入りしたとのことでした。「シャイだけどトレーニングは真面目」というのが第一印象でした。ライアンはボクシングを少し経験しておりましたがキックは素人。しかしその恵まれた体格と持ち前の体力には目を見張るものがあり、会長「これはものになっちゃうんじゃないの・・・」と思ったこともありました。
そして本日、日本最終日がテンクロの大掃除DAYとなり・・・本当に運の悪いヤツです。最後までしっかりと働いてもらいました。
大掃除終了後
このあと世田谷ジムの「戦うハイヤー」こと中村さんのご好意で成田まで送ってもらうのでした。
ライアンは後半の2年はテンクロハウス(寮)に入居。当時、ライアンが安月給を憂いていたため、「家賃はいらないからテンクロハウスに入れ」というと申し訳なさそうにテンクロハウスの内見にきて翌月には入寮。それまで居た住まいが6万5千円とのことで会長も「これで少しは生活が楽になるだろ・・・」とホッとしていました。そしてライアンはこれまでの家賃分をシッカリと貯金・・・ではなく生まれた差額により趣味の旅行に拍車がかかり年に二度は海外旅行なり国内旅行なりを満喫していたところは大したもんです。そりゃーいけるわな・・・そしてお土産を買ってきたことは一度もありません。なんてヤツだ・・・などとは思いませんがそういう文化はないのかい!と言ったことは事実です。
以前、ライアンの日本出立の計画を知った折にライアンを浜松に二泊三日で遊びに来させました。その際腰を据えゆっくりと話ができました。互いの生い立ちや今後の展望や・・・ライアンの何年経っても下手くそで通じない日本語を読解しつつ・・・途中伝えることを諦めるライアン・・・それまでも何度かその姿勢を怒ったことがありましたが都度「諦めるな、こちらが分かるまでしっかりと伝えろ」としつこくしつこく英語を交えながら注意をし、一つの要件を済ませるのに時間を要したことが何度もありました。そしてそのような中、明らかにライアンの日本語力より会長の英語力の方が上がっていくのでありました。
浜松城にて
最後に・・・ライアンは世田谷ジム創設期の数少ないメンバーの一人です。この5年で知らず知らずの間に選手そして指導員として世田谷ジムには欠かせない存在となっていきました。世田谷ジムの良い時も悪い時も・・・世田谷ジムの歴史とともにこれまでやってきてくれました。そんなライアンも「ジムがなければ5年も日本にはいなかった」と思ってくれており、世田谷ジムの生徒の皆さんに支えられた5年であったと思います。世田谷ジムだけでみれば賢一よりも在籍が長いと面白い話ですが、これまでジムを愛しそしてジムの仲間に愛されたライアンには本当に感謝しかありません。
ニュージーランド人のライアンですが一旦は母親が住むロンドンへ行きます。今後のことは何も決まっていないそうですが、それもライアンらしいです。ライアンにはこれからも楽しく生きていってほしいと思います。
「so long Ryan. Thank u so far.」