筆跡
2015.12.05
入野ジム 長谷部です。
人生何がおこるか分からない・・・
平凡な生活が嫌な人にはスリルを楽しむ余裕もあるだろうが
あまりにトリッキーな展開は、この歳になると精神的にも肉体的にも
少々キツイ・・・
バタバタしながら気がつけば今年もあと数週間で終わろうとしている
あらためて驚く、月日が流れるのが余りにも早い・・・
何気なく手に取った雑誌の中で目に止まった仏教の”ゼロの思想”
人間生まれた瞬間が100とすると寿命の終わりが0となる
人は毎日、ゼロ(死)に向かって生きている・・・
(そこには、そう書かれていた・・・正しいかどうかは分かりません)
考えてみれば当たり前の事だが、はたしてそれを意識している人達がどれだけいるだろうか
理由は分からないが10代の頃から自分は、いつこの世から居なくなるかもしれない・・・
そんな考えを持っていた
友人との会話の中で「10年後生きてるかどうかも分からないよね」
そう言った私に、キョトンとした顔で
「何言ってるの、生きてるに決まってるじゃん!」
いやいやいやいや 何故そう言い切れるのか
毎日ニュースで流れる事件、事故、そこに自分の名前が出ない保証などどこにもない
大病を患う可能性だってある(きっと友人は、おかしな奴と思っていただろう)
ゼロになるまでに、あとどれだけの時間が残されているのか・・・
どうしてそんな後ろ向きな考えをするのか?と言われそうだが、そうではない
だからこそ、どう生きるのかを真剣に考えるのだ
人生という名のキャンバスに、その人の生き様が描かれる・・・
大胆な構図の迫力ある作品か、色彩豊かな鮮やかな作品か
黒の濃淡だけで表現した渋い作品になるのか・・・作風は画家次第
人生の終焉を迎えた時、皆に「ああ、この人らしい良い絵だね」
そう言ってもらえれば生きたかいがあったというもの・・・
確かに、絵(生き方)の上手い下手はあるだろう
しかし、一つでも何かに打ち込み懸命になって成し遂げた事のある人の絵には
どこか人を惹きつける味のある作品になっているはずだ
・・・と、その前にいろいろと始末しておかなければいけない物がある・・・
「えっ・・・あの人こんなのが好きだったの・・・」
「・・・お父さん、こんな趣味があったの・・・」
そんな事になれば父親の威厳丸つぶれである(もともと威厳があるかどうか疑問だが・・・)
さて・・・この先自分の作品がどう仕上がるのか・・・誰が知ろう・・・・。