蜉蝣の軌跡
2020.12.28
人生最後の日に食べておきたい物は?
この問いにどんな物を思い浮かべるだろうか
これを食べれば悔いなしの大好物か
普段口にすることが出来ない高級料理
それとも何気なく食べている慣れ親しんだ物なのか
そこには単に味覚的な好みだけではなく
個々に歩んできた道のりが大きく関わっているのではないでしょうか。
知り合いからこんな話を聞いたことがある
仕事帰り偶然立ち寄ったラーメン屋、値段の安さに惹かれたが
出て来たのはプラスチック容器に入った貧相なラーメン
「・・・失敗した・・・」
ある程度覚悟はしていたがそれを遥かに上回っていた
仕方がない安さに釣られた自分が悪い
萎える気持ちを抑えながら早くかたずけて帰ろうと一口食べた瞬間衝撃が走る
学生時代近くにあったラーメン屋、お世辞にも美味しいとは言えないが
わずか数百円で食べられるその店はお金のない学生にとってご馳走であり憩いの場
その思い出の味に酷似していたのだ
鮮明に蘇る当時の記憶・・・
その日から仕事帰りに足しげく通うようになり
麺をすすりながら「ああ・・今日もマズイな・・・」
なぜか仕事の疲れやストレスが和らぐのを感じていた
ところが、しばらくしていつもの様に店に入ると違和感が、
メニューを見ると僅かながら値上がりしている「あれ?」と思いつつ
いつものラーメンを頼み一口食べた瞬間衝撃が走る
なんと少し美味しくなっていたのだ
それ以降その店に足を運ぶことは無かった
理由は「あの味でなくなったから」
味が変わった事でその店は思い出に浸る憩いの場ではなく
周りにあるありふれた店の一つになってしまったのです。
子供の頃に美味しいと感じた物は記憶の奥に深く刻み込まれ
後の食生活に多大な影響を与えるのでしょう
私もそうだ・・・
よく遊びに行った施設に設置されていたジュースの販売機
十円玉を入れると小さな紙コップに注がれる
添加物にまみれたオレンジ色の液体・・その味は今でも忘れられないし
当時の学校、土曜日の半日授業を終え家で必ず食べていたのは
白い袋に包装されたハンバーグ・・のような物
油で塗り固められたその物体をフライパンで焼くだけ
小学生でも簡単に調理ができて残った油でさらに卵を焼く
あまり良い油ではないのでしょうドス黒くなった卵焼きを見て
子供ながらに「これは体に悪いんだろうな」と感じながらも
それを食べる事が遊びに出かける前の至福のひと時でした。
最近その物体(製造元に失礼)を買い物途中で見つけ
あまりの懐かしさに思わず手に取り価格がほとんど変わっていない事に驚いた
なんという企業努力・・・
おそらく色々な物が混ぜ込まれているのでしょう・・・
(だから製造元に失礼)
昔と変わらぬ味が嬉しくて四日連続でそれを食べようとして
家族に止められてしまいました
熱々の鉄板の上に鎮座した炭焼きハンバーグより
私にとってはご馳走であり至高の一品なのです
ただ、家族の誰一人として賛同を得られなかった事は
誠に残念でなりませんが・・・。
最後に食べておきたい物だから贅沢をしたいと思うのは
ごくごく自然なことでしょう
その人なりの贅沢とは単に高価な物だけではなく
そこに思い出という風味が加わることで
駄菓子が高級スイーツに勝るとも劣らない一品になる可能性もある・・・
これをお金のない人間の詭弁だとあなたは笑うでしょうか?
長谷部
この問いにどんな物を思い浮かべるだろうか
これを食べれば悔いなしの大好物か
普段口にすることが出来ない高級料理
それとも何気なく食べている慣れ親しんだ物なのか
そこには単に味覚的な好みだけではなく
個々に歩んできた道のりが大きく関わっているのではないでしょうか。
知り合いからこんな話を聞いたことがある
仕事帰り偶然立ち寄ったラーメン屋、値段の安さに惹かれたが
出て来たのはプラスチック容器に入った貧相なラーメン
「・・・失敗した・・・」
ある程度覚悟はしていたがそれを遥かに上回っていた
仕方がない安さに釣られた自分が悪い
萎える気持ちを抑えながら早くかたずけて帰ろうと一口食べた瞬間衝撃が走る
学生時代近くにあったラーメン屋、お世辞にも美味しいとは言えないが
わずか数百円で食べられるその店はお金のない学生にとってご馳走であり憩いの場
その思い出の味に酷似していたのだ
鮮明に蘇る当時の記憶・・・
その日から仕事帰りに足しげく通うようになり
麺をすすりながら「ああ・・今日もマズイな・・・」
なぜか仕事の疲れやストレスが和らぐのを感じていた
ところが、しばらくしていつもの様に店に入ると違和感が、
メニューを見ると僅かながら値上がりしている「あれ?」と思いつつ
いつものラーメンを頼み一口食べた瞬間衝撃が走る
なんと少し美味しくなっていたのだ
それ以降その店に足を運ぶことは無かった
理由は「あの味でなくなったから」
味が変わった事でその店は思い出に浸る憩いの場ではなく
周りにあるありふれた店の一つになってしまったのです。
子供の頃に美味しいと感じた物は記憶の奥に深く刻み込まれ
後の食生活に多大な影響を与えるのでしょう
私もそうだ・・・
よく遊びに行った施設に設置されていたジュースの販売機
十円玉を入れると小さな紙コップに注がれる
添加物にまみれたオレンジ色の液体・・その味は今でも忘れられないし
当時の学校、土曜日の半日授業を終え家で必ず食べていたのは
白い袋に包装されたハンバーグ・・のような物
油で塗り固められたその物体をフライパンで焼くだけ
小学生でも簡単に調理ができて残った油でさらに卵を焼く
あまり良い油ではないのでしょうドス黒くなった卵焼きを見て
子供ながらに「これは体に悪いんだろうな」と感じながらも
それを食べる事が遊びに出かける前の至福のひと時でした。
最近その物体(製造元に失礼)を買い物途中で見つけ
あまりの懐かしさに思わず手に取り価格がほとんど変わっていない事に驚いた
なんという企業努力・・・
おそらく色々な物が混ぜ込まれているのでしょう・・・
(だから製造元に失礼)
昔と変わらぬ味が嬉しくて四日連続でそれを食べようとして
家族に止められてしまいました
熱々の鉄板の上に鎮座した炭焼きハンバーグより
私にとってはご馳走であり至高の一品なのです
ただ、家族の誰一人として賛同を得られなかった事は
誠に残念でなりませんが・・・。
最後に食べておきたい物だから贅沢をしたいと思うのは
ごくごく自然なことでしょう
その人なりの贅沢とは単に高価な物だけではなく
そこに思い出という風味が加わることで
駄菓子が高級スイーツに勝るとも劣らない一品になる可能性もある・・・
これをお金のない人間の詭弁だとあなたは笑うでしょうか?
長谷部