東日本大震災から10年
2021.03.22
皆さん こんにちは 世田谷ジムの加藤です。
緊急事態宣言は解除されましたが、まだまだ油断はできません。
気を付けて生活していきましょう。
東日本大震災から早10年が経ちました。
私は地震発生時に仕事で千葉県の九十九里海岸におりました。
車が走れない程の揺れを感じて路肩に停車していると、海が見たことのない景色に変わり、ラジオからは津波が来るとの情報で急いで高台に逃げ、そこで一晩を過ごしました。
とっさの判断で、水と食料を買い込み車の燃料も満タンだったので何とかなると冷静でいられましたが、停電が続く中、ラジオからの情報だけでは行動や移動等の判断が厳しく、翌朝に津波によってもたらされた惨状を目にした時、愕然としたのを覚えております。
さらに原発事故が起きた後は情報収集と避難準備を行いながら、子供たちの被爆防止に注意を払ったことを記憶しています。
原発から世田谷区まで距離があるにも関わらず、自宅のバルコニーで線量計が高い放射線量を表示し続け、駐車場の排水路付近では見た事の無い高い放射線量となり、どこに避難するか、どこに移住するか探したものです。
あれから10年
東北に比べて被害の小さい九十九里海岸でも津波対策の工事が今も行われており、効果があったところの補強と、問題になったところの対策が進められております。
地震や台風は防げませんが、その被害を最小限におさえる事は重要ですので、震災や原発事故を他人事とせず自分の問題として引き受けて考え、有事に備えた準備や心構えを各々でなされる事をお勧めいたします。
「備えよ常に!」
「竹内賢一選手 チャンピオン獲得おめでとうございます!」
緊急事態宣言は解除されましたが、まだまだ油断はできません。
気を付けて生活していきましょう。
東日本大震災から早10年が経ちました。
私は地震発生時に仕事で千葉県の九十九里海岸におりました。
車が走れない程の揺れを感じて路肩に停車していると、海が見たことのない景色に変わり、ラジオからは津波が来るとの情報で急いで高台に逃げ、そこで一晩を過ごしました。
とっさの判断で、水と食料を買い込み車の燃料も満タンだったので何とかなると冷静でいられましたが、停電が続く中、ラジオからの情報だけでは行動や移動等の判断が厳しく、翌朝に津波によってもたらされた惨状を目にした時、愕然としたのを覚えております。
さらに原発事故が起きた後は情報収集と避難準備を行いながら、子供たちの被爆防止に注意を払ったことを記憶しています。
原発から世田谷区まで距離があるにも関わらず、自宅のバルコニーで線量計が高い放射線量を表示し続け、駐車場の排水路付近では見た事の無い高い放射線量となり、どこに避難するか、どこに移住するか探したものです。
あれから10年
東北に比べて被害の小さい九十九里海岸でも津波対策の工事が今も行われており、効果があったところの補強と、問題になったところの対策が進められております。
地震や台風は防げませんが、その被害を最小限におさえる事は重要ですので、震災や原発事故を他人事とせず自分の問題として引き受けて考え、有事に備えた準備や心構えを各々でなされる事をお勧めいたします。
「備えよ常に!」
「竹内賢一選手 チャンピオン獲得おめでとうございます!」