ひまわり
2022.07.11
入野の長谷川です。
オープニングシーンがウクライナの広大なひまわり畑で撮影され、戦争の悲惨さを描いた映画として報道番組等でも取り上げられることの多い『ひまわり』(1970年、イタリア、監督ビットリオ・デ・シーカ)。今から40年前、高校生の頃に観たことがあります。(ずっと撮影場所はクロアチアだと思っていたのですが)
当時の私がカレーよりも好きだったのが映画、特に古いイタリア映画でした。第二次大戦後のイタリア映画には現実世界の不条理を何の救いもないまま観客に突きつける「ネオ・リアリズモ」と呼ばれるムーブメントがあり、デ・シーカの『自転車泥棒』(1948年、モノクロ)はその代表作です。しかし私が一番好きだったのは、その中から登場しながらも独特の世界観を描く作風に変化していったフェデリコ・フェリーニ監督の作品でした。
まだDVDやストリーミングはおろかVHSが普及する前で、家で好きな時に好きな映画を観れるなど想像もできなかったその頃、首都圏の主要ターミナル駅の近くには名画座と呼ばれる小規模な映画館があり、封切から時間が経った作品やいわゆる名画と呼ばれる作品を二本立て500円程度で観ることができました。高校生の私は「ぴあ」という関東圏の映画館の上演予定を網羅した雑誌を発売日に買って全てチェックし、好きな映画がかかると(フィルムと映写機しかなかった昭和の表現)、他県まで遠征していました。また名画座は入替制ではなかったので、朝からまずお目当ての作品を観て、もう一本の間は休憩、二度目を観たりもしていましたし(フェリーニの映画は長いものが多く3時間とか平気でありましたので、ワンコインというか岩倉具視の500円紙幣で一日楽しめる)、好きな映画がかかると何度でも観に行きました。そんな私の願いの一つはいつかイタリア、ローマにあるチネチッタという映画スタジオに行ってみたいというものでした。
そして時は流れて2019年、欧州で最初にイタリアでコロナ感染が爆発する直前、ついにローマに行ってチネチッタのガイドツアーに参加しました。ツアーはまず最初にイタリア人組と外国人組に分かれてそれぞれにガイドさんが付き、スタジオやセットを回りながら説明をしてくれるのですが(上戸彩主演の『テルマエ・ロマエ』もここで撮影されたとか)、途中あるスタジオでガイドさんが「フェリーニの『ドルチェ・ビータ』もここで撮影されたんですよ」と。おー『甘い生活』(1960年)。すると色々な記憶や知識が次々と蘇り、外国人組はガイドの女性とアイスランド人の女性と私の三人だけで距離が近かったこともあって黙っていることができず、「それはもしやトレビの泉のシーンでは?」「その通りよ。」「 そのシーンで黒いドレスのまま泉に入っていく女優はえーと確かアニタ・エグバーグ(発音悪い)?」「ん?アニータ・エバーグ?えーっ、何で知ってるの!」と。そして最初はガイドさんも私もアイスランド人女性の方をチラチラ見ながら「他の人もいるから」と遠慮していたものの、ついに映画愛が抑えられなくなり、「フェリーニの映画で一番好きなのはどれ?」「やっぱり『カサノバ』(1976年)、特に昆虫博士の館でのパーティーのシーンで音楽は♪♪♪(鼻歌)、あとは『ジンジャーとフレッド』かな。」「そうくるかー」......と止まらない映画オタク同士の会話にアイスランド人女性は完全に置き去りに。そしてガイドさんはツアーの最後に「ナイショだからね」と最高の笑顔で「関係者以外立入禁止」エリアの鍵を開け、私達を中に入れて資料を見せてくれました。イタリア人のこういうところはすごく素敵です。
オープニングシーンがウクライナの広大なひまわり畑で撮影され、戦争の悲惨さを描いた映画として報道番組等でも取り上げられることの多い『ひまわり』(1970年、イタリア、監督ビットリオ・デ・シーカ)。今から40年前、高校生の頃に観たことがあります。(ずっと撮影場所はクロアチアだと思っていたのですが)
当時の私がカレーよりも好きだったのが映画、特に古いイタリア映画でした。第二次大戦後のイタリア映画には現実世界の不条理を何の救いもないまま観客に突きつける「ネオ・リアリズモ」と呼ばれるムーブメントがあり、デ・シーカの『自転車泥棒』(1948年、モノクロ)はその代表作です。しかし私が一番好きだったのは、その中から登場しながらも独特の世界観を描く作風に変化していったフェデリコ・フェリーニ監督の作品でした。
まだDVDやストリーミングはおろかVHSが普及する前で、家で好きな時に好きな映画を観れるなど想像もできなかったその頃、首都圏の主要ターミナル駅の近くには名画座と呼ばれる小規模な映画館があり、封切から時間が経った作品やいわゆる名画と呼ばれる作品を二本立て500円程度で観ることができました。高校生の私は「ぴあ」という関東圏の映画館の上演予定を網羅した雑誌を発売日に買って全てチェックし、好きな映画がかかると(フィルムと映写機しかなかった昭和の表現)、他県まで遠征していました。また名画座は入替制ではなかったので、朝からまずお目当ての作品を観て、もう一本の間は休憩、二度目を観たりもしていましたし(フェリーニの映画は長いものが多く3時間とか平気でありましたので、ワンコインというか岩倉具視の500円紙幣で一日楽しめる)、好きな映画がかかると何度でも観に行きました。そんな私の願いの一つはいつかイタリア、ローマにあるチネチッタという映画スタジオに行ってみたいというものでした。
そして時は流れて2019年、欧州で最初にイタリアでコロナ感染が爆発する直前、ついにローマに行ってチネチッタのガイドツアーに参加しました。ツアーはまず最初にイタリア人組と外国人組に分かれてそれぞれにガイドさんが付き、スタジオやセットを回りながら説明をしてくれるのですが(上戸彩主演の『テルマエ・ロマエ』もここで撮影されたとか)、途中あるスタジオでガイドさんが「フェリーニの『ドルチェ・ビータ』もここで撮影されたんですよ」と。おー『甘い生活』(1960年)。すると色々な記憶や知識が次々と蘇り、外国人組はガイドの女性とアイスランド人の女性と私の三人だけで距離が近かったこともあって黙っていることができず、「それはもしやトレビの泉のシーンでは?」「その通りよ。」「 そのシーンで黒いドレスのまま泉に入っていく女優はえーと確かアニタ・エグバーグ(発音悪い)?」「ん?アニータ・エバーグ?えーっ、何で知ってるの!」と。そして最初はガイドさんも私もアイスランド人女性の方をチラチラ見ながら「他の人もいるから」と遠慮していたものの、ついに映画愛が抑えられなくなり、「フェリーニの映画で一番好きなのはどれ?」「やっぱり『カサノバ』(1976年)、特に昆虫博士の館でのパーティーのシーンで音楽は♪♪♪(鼻歌)、あとは『ジンジャーとフレッド』かな。」「そうくるかー」......と止まらない映画オタク同士の会話にアイスランド人女性は完全に置き去りに。そしてガイドさんはツアーの最後に「ナイショだからね」と最高の笑顔で「関係者以外立入禁止」エリアの鍵を開け、私達を中に入れて資料を見せてくれました。イタリア人のこういうところはすごく素敵です。